義務教育 70年の歴史
その昔,教育機関といえば「寺子屋」でした。
「寺子屋」・・古くは中世(鎌倉時代)にさかのぼり,学習意欲旺盛,かつ,ふさわしい家系の子息・息女が自発的に学ぶ民衆教育です。大規模な寺子屋は有名な私立学校法人となって今も残っています。
もちろん「寺子屋」ような有料教育機関に,「みんな」通っていたわけではありません。
では通っていなかった子供たちはどうでしょう?
日々の生活の中で,家庭・家族・社会生活が,必要な知識や常識を子供たちに伝えていたはずです。
寺子屋の時代,学校や義務教育などと言う概念すらありませんから,教育や学習はもっともっと生活に直結したものだったのではないでしょうか。押しつけの教育ではなく,本当に必要な教育が,自然に行われていた時代です。
しかしある日,保護者対して教育の義務「義務教育」が課されます。Wikipedia の引用で
とあり,わずか70年の歴史です。
その間,度重なる学習指導要領や教科書改訂が実施され,ご父兄の世代とお子様の世代では,異質なものになっています。
無料義務教育は,学習よりも集団生活
現在,義務教育は無料だからこそ義務通学のように解釈され,「学習すること」よりも「通うこと」が重要視されています。
無料教育を行う学校は,公共無料サービス・住民子育て無料サービスになっています。
すなわち
集団生活・上下関係・友達関係・情操教育・結果より努力
といったものに主軸をおいた教育です。
ときにはこれらに反発する子供たちの評価を下げるなど,学問とは全く関係ないところで優劣判断を行う場合も多いです。
これは,50年ほど前から徐々に増え,1990年代後半に最盛期を迎えた「近代の塾」が,学力養成を一手に担ったせいで,学校教育における学力養成の必要性が低下したことが原因です。
その上,学校教育においては,生徒たち個々の学力や成績が向上したことによる教職員側のメリットがありません。ですから,教職員は,授業や担任クラスを潤滑に平穏無事に運営することが最優先になって当然で,授業態度・発言・持ち物・通知表・・・といったもので子供たちを管理し,従わせること(そのほうが楽に指導できます)に全力を注ぎ,組織内での自己の評価を勝ち取ります。
こうして,学問の本質(デスクワーク)は外部教育機関に丸投げし,学校教育は,しつけ・生活指導・実験・体験などにシフトしていきました。
そうです。ゆとり教育の爆誕です
塾の劣化・変わらない学校
ところが,ゆとり教育と時を同じくして21世紀初め頃から個別指導塾が急増しました。
一人ひとり個性を大切に・一人ひとりに合わせた教育・オーダーメイド・・・
などといった,甘言がもてはやされた時期でしたし,少子化による子供たちの減少もこのような風潮に拍車をかけました。
このような時代背景の中,ゆとり教育の申し子である個別指導塾が外部教育機関の大部分を占め,教育の質を急激に落としたせいで,学力低下に歯止めが利かなくなってしまいました。
おまけにゆとり教育では,土日完全休校(昔は土曜に学校がありました)や,授業時間の短縮などで,学校に子供たちが滞在する時間が減少しました。これでは都合が悪い保護者の方の需要と,学問・学習面での自己顕示欲が満たされない教職員の活動の場としてのクラブ活動が異常に盛んになりました。
さすがにこのままでは・・・という世情を受けて,制度としてのゆとり教育は,廃止されましたw
しかし学校では,依然として外部教育機関に依存したままで,学問とは別の価値軸にこだわり,クラブ活動などを中心とするゆとり教育をそのまま続けています。ゆとり教育の方が楽ちんですから当然ですし,何より,現在の教職員自体がゆとり教育世代なので当然です。
その結果,誰も何も教えない教育環境が出来上がりました。
ならば子供たちは学校や塾で,毎日一体何をしているのでしょうか。
※ここでは居住地によって学校限定される「公立」小中学校について述べています。
「私立」の小中学には,当てはまりません。
私立学校は,入学の際ご父兄が主体となって吟味し選択するものですし,有料教育として「寺子屋」に近い学校も多く,進学実績を追及し,授業を根幹に据える学校が一般的です。また,特定の学校・クラブなどではプロ養成を視野に入れるケースもあります。