教え合う,学び合う教育
「子供同士が教えあう」「子供同士が学び合う」
人に教えることで身につく・・・などといった効果を謳う教育を,学校や塾が行っています。
教えあうというより
早く出来た子が,出来ない子に教える
といったほうが,事実に即しています。
これは,かしこい子供たちがそうでない子供たちのために自発的に行うことではなく
先生の命令で,強制的に教えさせられる
ということです。
「子供同士が教えあう」「子供同士が学びあう」というのはウソ。
現実は,出来ない子が出来る子に一方的に依存するだけで,出来ない子は永遠に出来ないままです。
こういうことが起こるのは,その教員に技量が無く,いつまでも出来ない・終わらない子供たちが居る一方,すでに家庭や塾で学習済みのかしこい子供達が問題や課題を早々に片付けてしまうという状態に陥っているためです。
そもそもこれは,昔から公立小学校などでよくある話で,子供が多かった時代に先生の数が決定的に少なく手が回らなかったため生まれた苦肉の策でした。
少子化が進行して久しいこの時代に,このような教育を行う正当な理由はありません。しかし,このような時代遅れな教育を行う学校・塾が後を絶ちません。現代におけるこれは明らかに教育の名目で働く職員の職務放棄です。子供が子供に教えて済むのなら,初めから先生など要りません。
さらに,グループ学習などと命名し,出来る子と出来ない子を人為的に配置したいくつかの小グループに分け,グループごとに何らかの課題をさせるといったことまで横行しています。もちろん各グループ内の「出来る子」がほとんど全ての課題をこなし,残りのグループメンバーはそれにぶら下がるだけです。メリットがあるのは何もしなくてよい「教員」です。
そして,これは学習の場面に限ったことではなく特に中学のクラブ活動では,そもそも顧問が素人である場合が多いため日常的にあたりまえのように先輩が後輩を教えています。子供が子供を指導して・・・どうなんでしょうか。
コレだけが原因ではないでしょうが
学校の先生にはタメぐちで,先輩には丁寧語を使う中学生がたくさんいます。
違和感というより,なんでしょう・・「お里が知れる」という感じでしょうか。
もはや「子供を労役に供さない」という義務教育の根幹が破綻し,子供たちは「人件費0の労働力」と化しています。
無料教育の代償が無料奉仕ということなのでしょうか。
学校外でのスポーツ・文化教室はさすがに素人が指導しているケースは稀ですし,プロ指導者が采配しているはずなので,子供同士がうんぬん・・とはならないでしょう。もちろんこれらは有料指導ですし,学校のクラブとは目指すものが違います。
ところが有料教育であるはずの「塾」は,何やら怪しくなっています。
子供どうしが教え合う,学び合う塾
無料教育の学校だけではなく有料教育である塾でも
先生が居ない自習塾や子供同士が教えあう塾が増えています。
「みんなで学習」 「自立型学習」 「自主的学習」 「グループ学習」 「学び合い」 「教えない塾」 「授業をしない塾」
などと適当なネーミングでなんとなくもっともらしいですが
要するに「自習」です。
先生(指導者)は不在,または居るだけで何もしないので,賢い子供たちは「先生がさぼってるだけ~」としっかり見切っています。
そもそも 人件費削減 が目的ですから,子供の目は確かです。
(おだてられて,それにも気づかない子供は,だまされ続けますが)
どのような塾でも子供たちをうまく言いくるめて営業できるのでしょうが,学校とは違い塾選びは自由です。ご父兄の選択責任で賢明な塾選びをお勧めいたします。
学校教育でも塾でも,クラブでも授業でも,もし恒常的に子供同士が教えあうことが有効だと考えるなら,子供の労働に対して賃金を支払うべきです。労働に対して正当な対価を得るという経験を積ませることこそ真の教育です。
ちなみに壱塾では
中学生(高学年)の質問を通塾歴が長い小学生(低学年)に解説させる時があります。
そして,説明内容などを講師がチェックし,教えた小学生の知識や解法の確認や拡張をします。
他塾のように同じ学年の生徒たちに教え合わせたり,低学年の質問を高学年に教えさせるようなことは致しません。
これを続けると間違った知識の連鎖の原因となるからです。